経営理念
- MISSION(ミッション)
- たまごを通して 大切な人を幸せにする
*ミッションとは私たち愛鶏園グループの存在意義であり使命です
- VALUE(バリュー)
- 鶏からの贈り物であるこの栄養豊かな玉子を
生産者としての誇りと責任を持って
一人でも多くのお客様に安心を添えてまごころ込めて贈ること
全従業員が自身の持っている能力を最大限に発揮しながら
共に成長し 会社と家族、自身の夢と幸せを追及し続けること
感謝の心と共存共栄の精神を持って社会に貢献し
「食の輪」、「人の輪」、「地域の輪」を広げ結んでいくこと
**バリューとは私たち愛鶏園グループの仲間が大切にする価値観と行動指針です
社訓(創業者の言葉)
養鶏とは 働くこと 辛抱すること 鶏を愛することとみつけたり
鶏は生き物だから いつも右手に愛情の灯を 左手に算盤を そして二者択一の場合、愛は算盤に先行する
***社訓とは創業者齋藤虎松が私たちに残してくれた言葉です
ブランドマーク

創業者がモチーフとなっている愛鶏園のブランドマークは、愛情を持って鶏を育み、大切に扱う姿勢を象徴しています。
愛鶏園のイメージカラーは「愛鶏園レッド」です。
赤色の持つパワー…「愛」「生命力」「挑戦と革新」ワクワクして士気をあげる色。
愛鶏園創業者:齋藤虎松は当時不治の病であった結核にかかり、その療養の傍ら、10羽の母鶏を飼い始めました。
大正14年(1925年)、栄養価の高い食糧がなかなか手に入らない時代、運良く結核との闘いから立ち直った虎松は決心します。
『この栄養豊かなたまごを、いつでも安心して食べられるようにしたい』。
これが愛鶏園の始まりであり、原点です。
品質・衛生管理方針
会社沿革
- 西暦
- 主な出来事
- 1925年
- 創始者齋藤虎松は病気療養に必要なたまごを得るために、5月5日、郷里である神奈川県都筑郡田村大熊にて母鶏孵化雛10羽を湯たんぽ保温で育て始める。
- 1926年
- 初めて人工孵化無鑑別雛150羽を導入する。(人工孵化無鑑別雛とは、母鶏に代わり、孵卵器にて雛を孵化させ、オスとメスに分けていない状態で受け入れることです)
- 1927年
- 飼育羽数を100羽とする。飼育方法は平飼いである。
- 1930年
- 農場を愛鶏園養鶏場と命名する。
- 1932年
- 神奈川県橘樹郡下菅田村(現在、本社のある横浜市神奈川区菅田町)へ移転する。
- 1940年
- 飼育羽数15,000羽となり、日本有数の規模となる。
- 1942年
- 第二次世界大戦により、規模を300羽に縮小する。
- 1945年
- 平飼い飼育からバタリー飼育へ移行する。鶏の鶏糞との接触が原因で発症する鶏病が激減する。
- 1949年
- 齋藤虎松、「横浜市養鶏農業協同組合」初代組合長に就任する。日本で最初の組合食鶏処理加工工場をつくる。
- 1953年
- 齋藤虎松、「神奈川県養鶏経済連合会」初代組合会長に就任。共同ふ卵場を発足させ、生産者による初生雛の生産を開始する。
- 1955年
- 有限会社愛鶏園として法人化する。飼育羽数を18,000羽とする。
- 1958年
- 齋藤虎松、多年にわたる養鶏業界への寄与により、採卵養鶏家として初めての黄綬褒章を受章する。黄綬褒章の理由は、齋藤虎松が考案した『スパルタ育雛法』と『友温育雛法』。
- 1961年
- 神奈川県相模原市にて、育雛農場・育成農場・成鶏農場の建設を開始する。(育雛と育成とは、たまごを生む親鳥を雛から育てる期間のことで、孵化直後から初期の段階を育雛、後期を育成という。
成鶏とは成長した親鳥がたまごを産卵する期間のことをいう)
- 1963年
- 従来の自家配合飼料から飼料メーカーが提供する完全配合飼料へ切り替える。
- 1964年
- 従来の国産鶏から生産性の高い外国鶏の導入を開始する。
神奈川県相模原市で法定伝染病の一つニューカッスル病が発生し被害を受ける。
- 1965年
- 埼玉県大里郡岡部町(現深谷市)にて、育雛育成農場、成鶏農場の建設を開始する。育雛育成農場の成鶏農場からの分離と、鶏舎ごとのオールイン・オールアウト方式を導入することにより、衛生レベルは飛躍的に改善し、生産性を向上させる。飼育羽数は100,000羽を超える。神奈川県と埼玉県の2拠点での生産体制となる。
- 1969年
- 茨城県茨城町にて、育雛農場、育成農場、成鶏農場の建設を開始する。育雛農場と育成農場をさらに分離することにより衛生レベルの改善を行う。飼育羽数は200,000羽を超える(1971年)。
神奈川県、埼玉県、茨城県の3拠点での生産体制となる。
- 1974年
- 埼玉県・茨城県の3ケ所に自家配合飼料工場を設立し、自家配合飼料製造を開始する。とうもろこし主体飼料と濃厚飼料の配合割合を変化させ、鶏の成長に合わせた飼料を配合する仕組みを完成させる。
- 1975年
- 鶏病研究室を開設し、専属の獣医師による鶏病コントロールを開始する。専門の獣医師が鶏、鶏病を研究し、鶏舎の衛生レベルの向上、飼養管理レベルの向上、ワクチンプログラムの改善により、鶏本来の力で健康を維持する仕組みをつくり、
抗菌・抗生物質を使用しない飼養管理をめざす。
- 1978年
- 有限会社愛鶏園を株式会社愛鶏園とする。飼育羽数は450,000羽を超える。
- 1981年
- 自家配合飼料製造から飼料メーカーに飼料原料の配合を委託する委託配合に移行する。その際、株式会社ジェイ・アール・シーを設立し、生産者が自ら飼料原料の配合割合を決定する仕組みを開始する。米国の大手養鶏企業スパボー社の飼料配合技術、カルフォルニア大学教授ダンベル氏の経営分析技術を学び、日本で応用する。
- 1985年
- 茨城県小美玉市に、若宮成鶏農場80,000羽の建設を開始する。鶏を飼養管理する部分を建物の2階におき、1階には鶏糞を堆積することができる画期的な鶏舎を導入する。さらに、鶏舎の大型化に伴い、強度を持たせるために木造鶏舎から鉄鋼鶏舎に移行する。
- 1987年
- 埼玉県深谷市に、櫛挽成鶏農場90,000羽、針ケ谷成鶏農場80,000羽の建設を開始する(それぞれ1987年、1988年に完成)。
合わせて、成鶏農場に併設して、集卵したたまごをダイレクトに洗卵・乾燥・選別し、包装するGPセンターと呼ばれる食品工場の建設を開始する(櫛挽インラインGPセンター1987年完成、針ケ谷インラインGPセンター1988年完成)。これにより、市場の変化に対応してパック卵の製造を開始する。
(GPセンター:Grading & Packing Center(鶏卵洗卵・重量選別&包装センターの略)。特に農場に直接併設されたGPセンターをインライン・GPセンターと呼び、農場とは別の場所にあるGPセンターをオフライン・GPセンターという。この当時は鶏卵問屋や飼料メーカーが運営するオフライン・GPセンターが主流で、生産者は無洗卵・無選別の農場原料卵をこのオフライン・GPセンターへ納品していた)
- 1989年
- 茨城県小美玉市に、小川成鶏農場300,000羽(1995年完成)と小川インラインGPセンター(1990年完成)の建設を開始する。生産効率を高めるために初めてウィンドウレス鶏舎を導入する。ウィンドウレス鶏舎とは、従来カーテンの開け閉めでコントロールしていた鶏舎内の空調を換気ファンで行う鶏舎のことで、カーテンを取り付けた窓がないことから無窓鶏舎(ウィンドウレス鶏舎)と呼ばれている。
- 1990年
- 愛鶏園グループとして複数あった会社(株式会社愛鶏園、株式会社愛鶏園の玉子、株式会社相模原愛鶏園)を統合し、株式会社愛鶏園とする。
- 1991年
- 埼玉県深谷市に、岡部成鶏農場300,000羽(1995年完成)の建設を開始する。発生する鶏糞を、鶏舎内の温かい空気で乾燥し、ベルトコンベヤにて速やかに付属する堆肥場に移動し、即座に発酵させることができる鶏舎を初めて導入する。当時ヨーロッパで流行っていたこの方式は、現在世界で主流な鶏舎構造であり、臭気や害虫の発生予防、また除糞作業の軽減に寄与し、都市近郊型の養鶏に向いている。
- 1992年
- 茨城県小美玉市に、倉数育雛育成農場鶏舎4棟の建設を開始する。(2001年完成)
- 1994年
- 茨城県茨城町に、木部成鶏農場120,000羽(1995年完成)、宮ケ崎成鶏農場80,000羽と宮ケ崎インラインGPセンターの建設を開始する(1996年完成)。飼育羽数は1,000,000羽を超える。
- 1995年
- 1990年前半から社会問題となっていたサルモネラ食中毒に対応するため、生産製造工程における食中毒菌検査体制を確立する。食中毒菌の感染から鶏を守るため、腸内細菌コントロール、ワクチンによるコントロール、病原菌を媒介するネズミのコントロールなどを確立する。
- 1996年
- GPセンターに低温倉庫を完成し、冷蔵物流を開始する。
翌年、シンガポールへ鶏卵の輸出を開始する。
- 1997年
- 埼玉県深谷市に、深谷成鶏農場240,000羽の建設を開始する。(1999年完成)
- 1998年
- 鶏の成長段階に合わせて毎週飼料配合設計を変更する取り組みを始める。鶏の栄養レベルの要求量は、日齢、季節、産卵個数、卵重、体重などの変化により毎週のように変化するため、農場に配合設計ができるコンピューターを設置し、鶏の様子を確認しながら、飼料原料の配合割合を決定する仕組みであり、世界的にも最先端の取り組みである。(2024年100万羽農場で完成形を実現)
- 1999年
- 飼料原料からのサルモネラ菌汚染を防ぐために、蒸気加熱殺菌飼料を導入する。
飼育羽数は1,500,000羽を超える。
- 2005年
- 茨城県で鳥インフルエンザウィルスによる地域的な大規模感染があり、当農場においても約800,000羽が殺処分され、飼育羽数700,000羽となる。
- 2006年
- 殺処分により空舎となった農場を整備しなおし、一から雛を育て始める。
- 2007年
- いくつかの農場は閉鎖し、残った農場にて最終的に飼育羽数1,390,000羽まで回復させる。
- 2008年
- 社訓・経営理念を制定する。
日本一きれいな養鶏場を目指す環境整備事業を開始する。
- 2009年
- 長期事業方針『百年企業を目指す』を発表。
外国人実習生制度を導入し、インドネシアより技能実習生の受け入れを開始する。
- 2011年
- 東日本大震災が発生し、茨城県小美玉市にある約300,000羽分の鶏舎が被災する。
震災で鶏舎内設備が倒壊した小川農場3棟300,000羽の建て替えを開始する。(2012年完成)
有機循環型農業を目指したボカシ堆肥製造事業を開始する。篤(とく)農家が手間をかけて作っていたボカシ堆肥を、篤農家に代わりに、大量に安定的に供給する事業である。
ボカシ堆肥とは作物を作るのに有効な有機質原料を畜糞などで発酵させたものである。(2016年までに全農場に展開完了)
米国の著名な養鶏経営コンサルタント「アンディ・ハンセン」氏に師事し、米国と日本の良いところを混ぜ合わせた日米養鶏経営を実行する。(2020年まで)
米国Google社の提供するプラットフォームにて社内クラウドシステムの構築と運用を開始する。(2024年完成)経営、営業、生産製造分野における情報分析とグループウェアによる情報共有を目指す。
- 2013年
- 茨城県石岡市に千代田育雛場を完成させる。同時に倉数育雛育成農場を育成専門農場へと転換する。各地に点在していた古い育雛場と育成場をすべて閉鎖し、集中して良い大雛を生産するための育雛・育成体制を完成させる。
- 2014年
- 品質管理マネージメントシステムの導入を開始する。一般社団法人日本卵業協会GPセンターHACCP認証を取得する。(その後、2022年に農場を含めた愛鶏園型統合HACCPを確立する)
- 2015年
- 全成鶏農場での洗卵選別化(岡部農場、深谷農場、小川農場のGセンター化、2018年完成)を開始する。これにより脅威になっていた鳥インフルエンザ発生時の移動制限のリスクを大幅に解消する。
同時に針ケ谷GPセンターをPセンターに改造する。
(注)Gセンター: Grading Center(鶏卵洗卵・重量選別センター)
Pセンター: Packing Center (鶏卵包装センター)
- 2016年
- 茨城県小美玉市に、大型の総合養鶏施設「小美玉ファーム」(小美玉農場1,000,000羽、小美玉コンポストセンター、小美玉GPセンター)の建設を開始する。(2019年に完成)
- 2019年
- 飼育羽数が2,000,000羽を超える。
- 2021年
- 香港への鶏卵輸出を開始する。
- 2022年
- マーケティング・ブランディングの事業を本格的に開始し、自社商品の開発に着手する。
DXを専門に扱う部門を設置し、養鶏業のデジタルトランスフォーメーションを目指す。
- 2023年
- SNS(Facebook、X、Instagram、Note等)での配信を開始する。
- 2024年
- 愛鶏園ブランド商品NA1シリーズの発売を開始する。
茨城県下妻市にパックを専門におこなるPセンターを開設する。(下妻パッキングセンター)倉数育成農場(茨城県小美玉市)に低床式ウィンドレス鶏舎2棟の建設を開始する。(同年完成)
- 2025年
- 創業100周年を迎える。
愛鶏園ブランド商品GH1シリーズの発売を開始する。
会社概要
株式会社愛鶏園 (Aikeien Egg Farms Co.,Ltd.)
- 社名
- 株式会社愛鶏園 (Aikeien Egg Farms Co.,Ltd.)
- 代表者
- 代表取締役社長 齋藤拓
- 事業内容
- 鶏卵の生産・販売、有機堆肥の製造・販売
- 本社所在地
- 〒221-0864 神奈川県横浜市神奈川区菅田町2954
- 資本金
- 4,250万円
- 創業
- 大正14年5月
- 設立
- 昭和30年4月
- 関連会社
- 株式会社愛鶏園ホールディングス(Aikeien Holdings Co., Ltd.)
株式会社ジェイ・アール・シー(Japanese Research & Control Co., Ltd.)